月の光の差し込む部屋。
あれは高校2年の夏休み後半の思い出だ。あれは、今夜のように月の明るい夜だった。
所属の剣道部の夏合宿で、豊かな自然で知られる群馬県○○村の体育館付きの民宿に、6泊7日の合宿に来ていた。
明日は合宿最終日で、練習は部内試合を含む午前中2時間だけを残していると云う、6日目の夜半だった。
僕を含む6人の2年生が1部屋に寝ている。
Tの字の布団の配置で、僕はTの上の線に当たる場所。残る5人が縦の線で並ぶ配置で合宿の夜を過ごして来た。
いよいよ明日でキツい合宿も午前だけで終わる。顧問のK先生の指示で僕が合宿のセッティングを任された初めての合宿だった。旅行会社を見つけ、宿、練習設備環境、バスの手配、上回れない大切な予算の交渉等、大人相手に幾つか大変な点もあったが、1年部員も3年部員も何も不具合や不満も無く夏練習に集中出来ていたようだ。その合宿も今夜が最後の夜。疲れたが気分は軽い、嬉しいな…と感じて、皆は眠っているのに僕はなかなか眠れなかった。 部屋が窓からの月の光で薄明るい。
寝返りを皆の方に打った。フと、僕の頭の近くで寝ているはずの利明(仮名)が布団の上で、背中を僕に向けた形で上半身だけ起き上がっているシルエットが見えた。
しばらく見ていたが全く動かない。(こいつ何やってんだ…寝ぼけてるのか)と思い、僕は小さな声で「おい、利さん、何やってるんだよ、トイレか。明日もあるんだから早く寝ろよ」と話し掛ける。こっちを振り返りもしない。 寝ぼけてる訳ではなさそうだ。
(ありゃ、月明かりが作った影か…?)と思い、窓を見たが、窓の外にも中にも月明かりが影を作る障害物はない。
(目の錯覚か?)とも思い、利明の向こうにある、引き戸の隙から見える廊下の明かりの縦筋に目をやったが、利明の頭の部分から隠れて見えない。
(ん…やはり影でも錯覚でもないな、利さん何してるんだ)と思った。「おい、おい、利さん。何やってんだよ。早く横になれよ」と言ってから見えた。目が暗さに慣れた。
本物の利明の頭は僕の近くのままだ。横向きで少し丸まって寝ており、後頭部が見える。ぐっすり眠っている。 薄明るい月明かりのお陰で坊主刈りの髪も見える。掛け布団の模様もうっすら見える。
それなのに、掛け布団を被った利明の腹の当たりから立ち上がったような上半身のシルエットは、影のような黒いままだ。微動だにしない。利明の隣、窓を挟んだ側に寝ている、部員の中で非常に感覚の鋭く、霊感のあると云う矢内(仮名)ならこれを見てるんじゃないか、起きてるんじゃないか…と考えた僕はまた小さな声で「矢内、矢内、起きてるか、利さんの上に何か無いか、矢内」と掛けたが反応は無い。よく寝ているようだ。 怖いが(何だ、これは…)と感じ、布団から出てその黒影の近くに顔を近づけてみた。
何も見えない、黒いままだ…と思った矢先、視線を向けていた黒影の腹の部分がゆっくり波打ち始めた。
なぜか視線を外せず見つめてしまっている内に、その波が男の顔に変わって来た。
この時になってようやくこの影が何か気付き、声を上げるのを我慢して(わっ)と自分の掛け布団の中に隠れた。
今の僕ならふてぶてしく「ばかやろー!」とぶん殴れるが、16か17の僕は怖くて怖くて、布団の中で怯えて震えて、明るくなる朝方まで眠れなかった。
ようやく迎えた合宿最後の朝。明らかに寝不足で眠い。 朝ランを済ませてからの朝食の時、食べ終わり片付けを始めた民宿のお母さんに昨夜の事を簡単に話し訊いてみた。 「あの部屋、出たとか言われませんか」と。
お母さんは明言せず「あぁ…たまにそう言うお客さんもいますけどね…月明かりじゃないですかね」と言って、逃げるようにお皿の載ったお盆を持って厨房の部屋に去ってしまった。
利明に訊いても何も覚えていない、よく寝ていたと言う。
帰るまでずっと(見たと思ってるの、俺だけかよ…錯覚だったのか…いや…)と、何か消化不良な気分だった。
午前練習を終えて昼過ぎ、いよいよ新宿の高校へ向かう中型バスに乗り込み、民宿から出発して数分した時。
少し塞いでいた僕に、1席後ろにいた矢内が話し掛けて来た。
「エツジ、ねぇエツジ。」
僕は暗い感じで「なに」と応えた。
矢内は「昨夜ね…僕も見たよ。ずっと見てたよ、エツジが布団に潜り込むのも。エツジに呼ばれて利さんを見たんだ。本当にいたよ、利さんの上にずっといた」。
「なんであん時言ってくれなかったんだよ!」と言うと、「横から見ていたら、エツジがあれに声掛けてから、あれが動き始めたんだ。背中側に前が来はじめてた。月明かりあるのに影しか見えなかった。だから『やばいな』と思って僕も背中向けて寝たんだ。エツジの見間違えじゃないよ、絶対に」と言われ、ようやく納得した。
「矢内、なんで利さん何にも気付かなかったんだろ。別に怖い夢も見てないって言うし」と訊くと、矢内は「あいつバカだからじゃない。ほら、いっつも鈍いじゃん」と、真顔のままで応えてくれた。
(なんだぁ、バカだったのかぁ。。ならバカの方がいいなぁ、見ずに済むんなら。これからはバカになろうっと!)と思い、○○村を去って行った(実際はその後も幾度か、複数人いる状況で鳥肌立つ事を経験して行く)。
それでも、夏の月明かりの夜に走っていると、あの夜の事をいつも思い出す。