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(2014-7-13)

トマソー、クール・ダウン。

真っ白い玉葱のみじん切りをオリーブオイルでゆっくりと透明に炒め、ミキサーで細かくしたポモドーロをその鍋に注ぐ。 白ワインと水を加えて、アクを取り続けながらゆっくり煮込みます…
朝作りの熱々の自家製トマトソースを2缶に分け、シンクに張った氷水で即冷却。 パスタに良しピザに良しスープに良しの トマトソースがこれで完成です。
今日も宜しくお願い致します!




(2014-7-12)

おれの 熊撃ち丼。

秋田県は森吉山山麓に祖を発するマタギ達は、その超人的に卓越した狩猟技術と山岳知識、山岳信仰を腕と誇りにして、北日本から奈良まで日本各地に遠征と移住(旅マタギ)をし、我が新潟県を含め本土全般に熊やカモシカ、鹿、猪の対大型獣の高度に組織化された狩猟技術を伝承し発展させた。疑い無く、これは失われつつある日本の誇りである。 そのマタギの対月ノ輪熊狩猟技術の中でも、最も気力体力技術力知識力のベストの中のベストを持って挑まなければ成功しないものが、奥山にて単独で熊を発見、追跡し、感覚の鋭敏な熊の直近まで忍び寄り、一撃で倒し、獲物を里まで運び切るものが「忍び(又は忍び猟)」である。

北海道…現代の生きる伝説の羆撃ち師、久保俊治氏はマタギではないが、月ノ輪熊より更に巨大で反撃も辞さない猛る羆を相手に山岳森林、渓流、湿地、頭を容易に上回る深い薮の中、全ての厳しい自然環境が広がる知床標津を舞台に長年たった独りでシンプルなボルトアクション・ライフルで苦しみを与えない「一発即殺」を心懸け、羆相手の「忍び」を繰り広げて来た稀代の「羆撃ち師」である。 久保氏の自伝著書「羆撃ち」は、繰り返し読む、熊を探しに山に行く前に必ず読む、教科書的書だ。
その中で強烈な印象を残す場面がある(その連続の書だが)。
久保氏が4月の残雪多い標津の山中でビバークしながら数日間、追跡仕切った巨羆を撃つ。そして猟場で解体を始める。
「夕暮れが近づいてきていた。焚火に木を足し、火を大きくして夜の飯の用意をする。
胸腔にたまってプリンのようになった血に腸間膜を細かく切って混ぜ合わせ、裏返して雪で洗った腸に詰め込み、ブラッドソーセージをつくる。それを塩ゆでにして食べる。食べるもののすべてが、すぐに血となり、エネルギーになって、体の隅々までしみ込んでいく…」
これを読んだ時、ソーセージ作りの本質を理解出来た気がした。 今までは「やっぱり豚のウデ肉じゃないとな」「刻んだパセリを入れよう」「レモンピールも入れよう」「ナツメグを足そう」「ブランデーを加えて一晩寝かせよう」。 それも確かに旨くはなる。
だが、ソーセージ作りと云うのはもっとソリッドでいいのだ、獣の大切な「生命」を頂く為に、もっとピュアでいいのだ…と理解した。
倒した熊に祈りを捧げ、解体を始めた熊撃ち師ならこういう気持ちで作るだろう、と考えながら、薫さんをアシスタントに、なんて事の無い豚肉のソーセージを手早く作った。現場でこだわり過ぎながら料理を作りはしない。
だが、久しぶりに作ったソーセージは肉の固さ、肉の旨味に充ちて存分に旨く、スタッフ皆喜んでいた。
フライドポテトとキノコを塩胡椒炒めし白飯に載せ、塩茹でだけしたソーセージを載せる。山菜代わりに水菜を。 粒マスタードとケチャップだけの調味で崩しながら白飯と食う。旨い。
(シンプルでいいんだ、シンプルだから肉の味が出るんだ)…これから、自分のソーセージ作りは変わる…と悟った賄いだった。




(2014-7-12)

速攻製作自家製ソーセージ。