Morter Trecking And Read the Books.
今、熊の本を数冊同時に読んでいる。
宮崎学先生の「ツキノワグマ」と「となりのツキノワグマ」、それと久保俊治氏(現代の伝説的、北海道在住の羆ハンター)の「羆撃ち(くまうち)」、他に改めて「三毛別羆事件」(99年前の大正時代の北海道…この時代の北海道は世界最多の羆密集地帯だった…で起きた日本獣害史上最悪の約400kg、馬をも軽く越える巨大な人喰い羆による人間食害事件。前後して計10人以上の食害犠牲者と3人の重傷者が出た。特にある一件が凄い…『雪深い暗闇の夜8時50分、2家族10人が避難していた明景家に羆が突入。悲鳴と激しい物音が聴こえた、貧弱な武器しか持たない村の討伐隊が怯えながら明景宅を取り囲むと、真っ暗な家の中から、避難中の34歳で妊娠中の斎藤タケの、言葉など伝わらぬ羆への懇願の叫びが響いて来た。「腹破らんでくれー!のど喰って殺してー!」。空しくもタケは腹部から喰われ始めた。外の討伐隊の耳にも、タケの呻き声と、ぐちゃ、ぐちゃ、ばり、ばりと肉を咀嚼し骨を噛み砕く音が響いて来た』…)等を同時に読んでいます。それ以前に読み掛けのノーラ・エフロン(恋人たちの予感、ユーガット・メール等の人気女性映画監督)の晩年の傑作エッセイ「首のたるみが気になるの(翻訳 阿川佐和子さん)」は、一先ず積んでおきます。
どれも最高に凄いのですが、現役羆ハンターの久保氏の自伝も凄い。巨大羆や大牡鹿とのどちらが敗北しても死が待つ狩猟が凄い(因みに三毛別羆事件の最後も凄い。深酒飲み、ケンカ騒ぎで警察の世話ばかりで近隣の厄介者で嫌われ者、日露戦争帰りの孤高の羆猟師 山本兵吉…この事件以後、伝説の羆撃ちになり、92までの生涯に300を越える巨大羆を倒した…と巨大羆の一騎討ちが。単身 風下から巨大人喰い羆の側面すぐまで近づいた兵吉が放ったたった一発の銃弾が、羆の心臓を撃ち抜く)。 こんな本を読むのに最高の場所は、下越ならここしかない…と思い、バイクをメンテしてから山の中に走りました。
ハイカーも登山者も山菜採りも来ない奥までモータートレッキングを。
バイクを止めると途端に、風が樹々の枝を揺らす音、枝が落ちる音、鳥達の羽ばたく音、鳴く声、何か獣が動く音に包まれる中で読む「羆撃ち」は、かなりリアルなスリルがありました。
弥彦山や角田山には「熊」はいません(と云う事になっている)。その理由は「街に近いから」?「下越だから」? 、「みんなに馴染みある山だから」?「エサなんか無いから」?…
答はNOでしょう。
偉そうにスミマセンが、僕から言わせて貰えば、この山塊に熊がいないのは、柏崎(熊の出没目撃データあり)から続く大なり小なりの山並みが、大河津分水で大きく途切れるからでしょう。
だから例えば、とんでもない「熊オタク」が、こっそり熊を複数放獣したり、または大河津分水をどうにかして渡って来たとしたら、弥彦や角田の山容から考えても、十分10頭は軽く越える熊が生息続けても何の不思議も無いと思います。まして麓にはたっぷりと柿畑もありますから。特に最初の数年はまさに彼らの「天国」になるでしょう。戦後の広葉樹伐採と杉植林が放置されて約50年経ち、弥彦も角田も山の中は下草の多い、つまり新しい餌になる植物の多い新しい森がガンガンと成長しましたから。 本当の野生経験、勘、視点がまだ乏しい山ガールと山オ君なら、賑やかな登山道以外は無用心に入らない方が良い山になるでしょう。村上の方には、そういう山塊が広がっています。でもそれが魅力的でもあるのです。
まぁともかく、この一帯の山は熊がいないから何の心配も無く入って行けるのは事実です。でも熊がこの山にいたら、それはスリリングで謙虚な気持ちでの入山になるでしょうね。
さて、しばらく読書したら何か獣の痕は見つかるか…と云う視点でトコトコと再び走り始めました。