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(2008-2-4)

雪の桜坂。

本日お越し下さいましたお客様皆様、どうもありがとうございました!カップル様や女性お二人様が多い日曜日でした。
さてさて、東京が雪化粧。ゴッツンコやスッテンコが多発してるようですが、普段灰色の街が一時でも純白になるのはきれいな絵です。僕が子供の頃は東京でも1冬に1、2度はしっかりした積雪の日があった事を記憶してます。小学校、中学校とかなりの雪の中でみんなでキャッキャッ騒いで雪合戦しました。今やヒートアイランドの23区目黒でもです。22歳の時点で多摩でも、20センチ位積雪した冬がありました。偶然に土曜日か日曜日だったので、これ幸いとスノーボードを着けて自分の街を滑り始めました。当時の住宅街は、山の上に造成された街でしたのでバカにならない斜面が幾つかあったのです(山の中の公園含む)。特に春は桜で有名な坂があって、そこを上から下まで滑りました。勿論スキー場のゲレンデのようには行きませんが、朝から喜んで半日滑っていた思い出があります。ブルドッグの悠太もあの雪には大喜びでした。すれ違う車の人が目を丸くしていました。この時、板はバートンのAir52でした。テリエ、ジェフ
・ブラッシー、ブライアン・イグチ、ジェイミー・リン、ノア・サラスネック、パーマー、ジョン・カーディエル、クリス・ローチ…あの時代のライダーは今より人間に近くてワルでカッコ良かったなぁ、なんて言うかカッコいい不良っぽい先輩のようなイメージで。当時東京から通った山は湯沢の「ファースト石打」と水上の「天神平」が主でした。特にファーストは思い出のスキー場で(現在は閉鎖しましたよネ?)、いつも定宿にしてた民宿がゲレンデ内にあって、そちらの御家族に優しくしてもらいました。金曜の仕事が終わった最終の新幹線でチョコチョコ通ったからでしょう。あの時代、ファーストは湯沢地区のスノーボードのメッカでしたしハーフパイプ(今の基準で言えば、チョッと浅くパイプ状に掘れてる…という位のモノ。)も常設されていたので、当時のブッ飛ぶ上手いライダー達が沢山いました。キッカーではアマチュア達がフロントフリップやバックフリップを派手にメイクしてくれて、サイドに座って喜んで拍手してました。まだ湯沢でも幾つかの
スキー場だけがスノーボードを滑走可能としていたので、ボーダー達が来れるスキー場は決まっていたのです。あの頃のライダーのレベルから見たら、現代のプロライダーのレベルは完全に宇宙人レベルです。スノーボードだけでなくスキーやスケートボードやMTBやモトXやBMXを巻き込みながら、これらXスポーツは凄まじい進化を遂げて来たのです。「飛ぶ」というのは、想像以上に厳しく、勇気を必要とし、バランスを崩し、着地の難しい運動です。僕は何度も頭を打って、今のように「イタい」頭になってしまいました、コケなきゃ良かった…。
あぁ、気付けば今冬ももう2月。休日もナンヤカヤと理由をつけて雪山に行ってない。ていうかスタッドレスすら買ってない忘れてました。次の休みも仕事絡みで万代だしなぁ。また湯沢に戻り鯛。おやすみなさい!




(2008-2-3)

無風、高度は高い。

曇り空、完全に無風状態です。佐潟から朝の出勤に飛翔した白鳥達は高く高く飛び上がり、アッチへウロウロ、コッチへウロウロと方向を変えて飛んでいます。珍しい光景です。
仕込みを済ませ店前を掃いて朝食にします。東京は珍しく積雪の様子。東京の車乗る皆さん、事故の無いように!




(2008-2-3)

予感、バッド。

何かイヤな予感はオープンからしていたのですが、その通りになってしまいました。空模様は晴れていました、気温は低いのが気になっていましたが案の定、全然忙しくない土曜日でした。ありゃりゃ。お客様のオーダーを作ると次のお客様のオーダーに間が空く…というランチでしたので、晴れ間は貴重ですからサッサと外に出て薪割りと長い幅木を鋸で刻みました、ギコギコいう。こういう肉体単純労働って、気分転換にうってつけです。いつも料理では使わない筋肉(主に背中、腿、特に右腕。)を動かすと、結構早く息が切れます。あっ、お客様だ。さぁ、お客様の「白子と長葱のリングイネ、柚子胡椒ソース」を仕上げてこよう。酒で延ばした柚子胡椒を適量溶かしたら、柚子の絞り汁の酸味を加えて。パスタの仕上げはスタッフがお皿の上で削る柚子皮。厨房に柚子の香り高い香りが満ちる瞬間。また明日も宜しくお願い致します、おやすみなさい!