良い夕陽…旅立ち。
18の頃からの砕けた友人に、愛媛は宇和島出身の男が2人います。トカと栄チャン。彼らはその頃からサーフィンに熱中していて、2人の卒業旅行は「種子島サーフトリップ」でした。2人は写真を見せながら、僕によくその旅と波の話をしてくれました。
学校を卒業してから1人は千葉勤務。1人は大阪勤務(僕も大阪暮らしだったので、週末良く梅田や神戸で遊びました。)になりましたが、それぞれが近くの海でサーフィンを楽しみ続けていました。特に後者の栄チャンは、自分が勤務していた大阪の有名某企業が無くなかったのを機にサーフバムに転身。「これから数年はサーフィンの為だけに生きるのさー。」と言って、愛知-静岡-千葉-茨城…と住み込み可能の季節労働仕事をしながらサーフィンやコンペを楽しんでいました(彼は上手だったそうで地元愛媛のショップがスポンサーにいました)。
僕が新潟に転勤が決まった時、2人は揃って「日本海側はね、良い波は真冬に立つのよ。だから日本海のサーファー達は雪嵐の中、海に出るんだ。オレらが寒くて震えるような日にね。彼らこそ本当のソウルサーファーなのよ。」…と話してました。
果たして…僕が真冬の凍るような日本海で見た景色は正に2人が言った通りでした。暖房を切れば車の中すら寒いような五十嵐浜や間瀬の海で、サーフビデオに出て来るような巨大な波を勇敢に乗りこなす新潟のサーファー達が、雪と寒さなど微塵も無いように波乗りを楽しむ光景を目にしました。
異論もありますでしょうが、ボードスポーツのルーツであり究極はサーフィンとしか考えられません。このスポーツは非常に精神的でもあります。
当時は上述の2人や、今はその後知り合ったサーファーの方々から本当に有り難い事にサーフィンへのお誘いを頂くのですが、自分で自覚しているのですが僕は北方回帰型の内省的人間で、自然と深山幽谷を求めてしまいます。少し暗い人間なんだと思います。だから…だからこそカラッと明るいサーファーの方々に憧憬の念を持ち続けています。
今宵…軽トラさん、Y沢様、大切な思い出深い夜をバイクスでお過ごし下さり本当にありがとうございました。今までも…ありがとうございました。これからもよろしくお願い致します!
また軽トラさん始め、今夜もそうでしたが新潟のソウルサーファーの皆様、いつも本当にありがとうございます。なんと言うか…シリアスなサーフィンは本当に憧れです。そうした方々に御愛顧頂き嬉しく思います。
今夜もありがとうございました!