遥か遠く…。
伊藤和也さんに合掌。伊藤さんのような若者達が、人間の良心を象徴している。治安悪化著しいアフガンで、今年殺害された復興支援関係者は、昨年の15人を越え、20人を越えてしまった。
武蔵野の、僕の卒業した学校の近くにアフガンを長期取材撮影していた戦場カメラマン、長倉洋海さんが住んでいて、僕の在学中、近くのギャラリーで幾度か洋海さんの写真個展が催されていた。当時も今も僕は戦争に興味が深かったので欠かさず伺った。いつも次の個展のお知らせを直筆手紙で下さった洋海さんは必ず会場にいらして、あの澄み切ったブラウンの瞳で、戦争の実態を質問をする僕らに真摯にアフガン情勢を話してくれた。
当時、洋海さんの取材対象は今は亡き「パンシール渓谷の獅子(通称パンシールのライオン。)、マスード将軍」だった。洋海さんにより、マスード将軍は僕にとって完全に生きる英雄の1人だった。洋海さんがサインしてくれた、洋海さんによるマスード将軍の写真集や著作も何冊か買っていた。心底優しい、女性と子供と老人を大切にする詩人にしてアフガンの国語教師だったマスードは、ソ連のアフガン侵攻により破壊制圧されていく母国の窮状を見兼ね立ち上がり、対ソ連軍との戦いに身も魂も投じた。戦場での束の間の休息時には静かな木陰の下で、静かに詩を記す時間を愛する英雄だった。マスードは、戦争が早く終わり、また教師に戻れる事を待ち望んだ人だった。対ソ戦争が一先ずソ連の撤退で幕を閉じたと安堵したら、即座に始まった国内の部族間宗派間による熾烈極まる内戦に、マスード派の将軍として巻き込まれる。主に外人部隊で構成されたイスラム原理主義アルカイダ率いるタリバンは、アフガンの良心を象徴する英雄であり人望厚い智将マスード将軍を
ことさら敵視する。
洋海さんが愛したマスードは人間の中の人間、男の中の男だったから、最期にアルカイダの放った刺客が演じた取材記者カメラマンのカメラのフラッシュに組み込まれた爆弾でマスードが爆殺された時から、僕はどうしてもアフガンに愛想を尽かした。
そうして数年…USは911を自作自演し、かつてマスードとアルカイダを支援したその地アフガンを侵攻制圧。正義やカウンター・テロの為では無い。トルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタンに豊富に埋蔵する天然ガスとレアメタルをアフガン経由パキスタン・ルートでアラビア海に持ち出すには既にパキスタンは懐柔してあるが、その上に隣するアフガンを支配に置く必要があったからだ。勿論この時にイラクも次の一手だった。
そうしたアフガンで死ぬのは一般アフガン国民、武装勢力、歩兵のUS兵、伊藤さん達のような支援者達…。
伊藤さんやペシャワール会の人達は、戦地観光に入ったような学生や地球ウォーカー達とは違う。ましてブラック・ウォーターズ社やハリバートン社の高給の民間傭兵達とは全くの対極だ。己れの信念に基づき、己れを滅して困窮する弱い他者を助けようと精一杯生きる人達だ。自分の為にしか努力していない僕は、こういう人達に本当に頭が下がる。さぞや御両親様の誇りの御子息だろうと思う。心から合掌します。
戦争とは真に残酷だ。ここでは酷過ぎるので名前は伏せるが、ある種のWEBサイトが幾つかあり僕や東京の友人は時折チェックする。今時のプロの武装勢力達は、スポンサーの為や単に威を示す為、自分達の蛮行をデジタル・ビデオでしかと接写で撮影しすぐにネットにUPする。そんなサイトでは戦場、戦地に於ける、人間のあらゆる最期のシーンが見れる。蛮刀で、槍で、銃で、車2台とロープで、万力で、火で…生きたまま、意識を持たされたまま、人間が人間を時間を掛けて解体して行く。兵士が市民を。市民がスパイを。武装勢力が兵士を。武装勢力が市民を。えぐい物は知ってたつもりの僕でも、それらを友人に見せられた時は吐いた、泣いた。それでも「見ろ!これが現実なんだ!どれ位の日本人がこれを知ってる!」と見せられる。その内、不思議と怒りの感情が湧いて来る。何への怒りか。戦争そのものにだ。利益と支配の為に、戦争を計画立案発動させる連中にだ。
戦争は、あらゆる物を醜く変化させる。自分と家族の命が懸かっているから、容易に通常時の善悪の境を越える。良くする事例など殆んど皆無だ。人間の魂すら容易に醜くさせる。
あんなシーンは残酷だ。人種も年齢も関わらず対象になる。憎悪は輪廻するから蛮行が止まらなくなる。人間は変わってしまう。でも、僕は多くの人が一度は見るべきだと思う。悪趣味の為では無く。あれを見たら殆んどの人が「絶対に戦争は許さない!」と心で感じると思う分かると思う、頭では無く。
伊藤さん達のような善意の人達が、放っておけば酷くなる一方の今の世界を、どうにか今のレベルに保とうとしてくれてると思う。安全で豊かなハイテクの祖国日本を、遥か遠くに離れてまで。
改めて、追悼の意を表します。かの魂が、平和と安寧と静けさと温かさに満ちた、次の世に到着する事を祈って。