最後の流星群夜。
流星群や満天の星空、釣りの為に渓流で迎える早朝の渓の景色や美しい自然の景色、姿を見るたびに僕は思っていた。(人間が作れるもので、この宇宙や自然が作り出したものを越えるものは無い…)と。
今夜、それは間違っていた事を知った。
超忙しでは無かったけど、大忙しとさせて頂いた今日。不足した野菜の買い出し(お盆中は野菜の配送は無いので。)にチョッと出掛けた夜の帰り道だった。夜中で快適な速度で走っていた前の車が、何かを避ける為に速度を落とした。てっきり僕は、車線路肩左側に車でも停まってるのだろう…と思ったのだがそうじゃなかった。23時だったのだけど、車線左側を、おばあちゃんが座る車椅子を、そのおばあちゃんより少し若いおばあちゃんがゆっくり押してこちら側に向かって進んでいたのだ。ライトは無かったから最初は視認しづらくて少し驚いた。時間が時間だから。
ゆっくりすれ違う時に見た車椅子のおばあちゃんの表情は、まるで夏の夜の涼しさに充たされた思いのような穏やかなお顔だった。車椅子を押すおばあちゃんの顔も、押すのに多少力を使っているけど優しい表情だった。勝手な推測だが…僕はこう思った。昨日までの何日も、夜になると雨が降り続いていた。車椅子のおばあちゃんは、そんな日は外に出れない。久しぶりに晴れた夜、妹さんかご近所さんかお友達か、その内の誰か親しい人にお願いして夜の散歩に連れて出してもらったんだろう…と。もしかしたら、缶ジュースでも買いたい…とお願いしたのかも(お歳から見て余りそれは無いだろうけど)。妹さんかお友達は、そのお願いを嫌がらずに「そうね…せっかくだから行こうかね。」と聞いて上げたのだと思う。
車の屋根を開けていたのでお二人の表情はよく見えた。それまで僕はオープンにして心地良いヒップホップを聴いて、それなりに心地良かったのだが、お二人とすれ違った瞬間に胸を打たれて、やっと気付いた。
人が人を思う、無私に、無条件に人を思う姿(それこそが愛なのだろう)、人が作り出せるその姿より美しいものなど無い、って。
今夜のような一大天体ショーを見ると今までは、(これほど美しい何かは無いだろう)とつくづく思っていたのだが、本当に美しいものは天上ではなく地上にあった事を今夜思い知った。それは造形物や書物の中ではなくて、人の中にあるのだという事に(自分の中にもあるはずだ)。
帰宅してから眺めたペルセウス座流星群は、相変わらず美しく感動的なものだったが、何かが去年までとは違う感覚で見るものだった。
祖母の命日から1年の夜。
いい夜が来たように思う。また明日も実り有る日であるように…。