bikescafe.jp

(2008-5-19)

2日連続。

通常であれば、土曜日、日曜日、祝日は通しオープンでいるのですが、この2日間は「お日がらも良く」、ランチも猛烈だった上に早いディナーの御予約が重なっていた為、やむなく仕込みの為に中休みを取らせて頂きました。その間御来店頂いていたお客様の影も見えた時もあったのですが、どうしても集中して取り掛かりたかったお皿や仕込みがあり、ご挨拶出来ませんでした、お許し下さい。
それにしても、この2日間は本当によくサザンを聴いた。バイクスを始めて初の事です。最近はアーバンラップやR&B、乙女ハウス(個人的に全く嗜好じゃない。)も用意しているのですが、陽射しも強く夏みたいなので、サザンの夏物が違和感無いように感じたからです(僕だけか?)。
昨夜から今日にかけて、「海」や「栞のテーマ」もラインナップに入れたので、それらを聴く度に、いよいよ中2の春にチョイ不良友達たちの部屋で、彼らのタバコの煙の中でサザンを聴かされてハマッた日々を思い出し始めました。いつか、誠に勝手ながらそんなキッカケも書かせてもらうかも知れません(誰も知りたくないって!)。ちなみにこの頃はサザンの曲には、思い出が重なって好き…という事は無く、単にサザンの歌う「大人の恋」に憧れて好きだった…というのが実際の所です。曲と重なる思い出は、もう少し青年になって来てから。やっぱり自由に使える車の登場が大きいですヨネ。実際の所、僕より遥かにサザン好きだったのは以前書いた、良く横浜に出掛けた当時のガールフレンドの方です。彼女は年2回はサザンのデカいコンサートに必ず参加してましたし、彼女の乗ってた真っ赤なプレリュードのCDチェンジャーには、必ずサザンが入ってました。だから自然と横浜茅ヶ崎三浦方面に遊びに行ってたのかも知れません。
20代前半スタッフの文チャンが常連様に「店長、サザンにハマッてるんですよぅ。」と言ってましたが、フム、どうなんだろう、ハマッてるというより久しぶりに聴いたら昔の思い出がフラッシュバックしてる…という感覚が近いような。
第一、今かなり不幸だから当時の色々な記憶に逃げ込んでる…というのも当てハマッてるな。
ただ嬉しく思うのは、サザンというのは国民的バンドである反面、かなりローカル色の強い歌を唄うバンドなのに、バイクスのお客様、それも美人な方々から共感の言葉を頂けた事です。新潟に来てから、たまたまなんでしょうけど、サザンの事をお話し出来る人達と会う事が無かったので、とても嬉しい訳です。そりゃミクシィとかで探せば新潟でのサザンのコミュもあるのでしょうけど、どうもSNSのやり方が解らなくて。まぁ、もうじき熱が冷めるまで自然に任せて…。
では、おやすみなさい!




(2008-5-18)

稲村ジェーンの夏休み。

「涙が溢れる 悲しい季節は 誰かに抱かれた夢を見る 泣きたい気持ちは言葉に出来ない 今夜も冷たい雨が降る
こらえきれなくて ため息ばかり 今もこの胸に 夏は巡る
四六時中も好きと言って 夢の中へ連れて行って 忘れられないHeart&Soul
愛をそのままに…」 昨夜の25歳の夏から遡る事7年。18歳の夏、僕は一夏休み全てを使うアルバイトで、埼玉上尾の鮮魚市場のマグロ卸し商のバイトに来ていました。高3の冬、早々と進学を決めたので、時間に余裕の有った僕を知った目黒の幼なじみのMが、彼の実家の築地の場内のマグロ卸しに「冬休みバイトに来てくれよ。3食と恵比寿のきれいなマンションの部屋付きで1日1万だぜ。なぁエツ、一緒にやってくれよ。お前となら楽しいしよー。」と呼ばれたのがキッカケでした。元来貧乏性の僕は目の前の仕事に一生懸命になるので、Mのお父さんの社長から好かれたのか、「次の夏はオレの弟が上尾で支店をやってるから、絶対ソッチでやってくれ。頼むぞ。」と毎日食べ切れない程沢山のマグロをお土産に持たせてくれました。オフクロ達は目黒から恵比寿なんて近いのでたまに取りに来て、ホクホク顔で帰ってました。Mと仲良かった僕らは以前からマグロを貰ってましたが、彼の家は安いマグロは取り扱わないからです。築地場内、マグロ商
は鮮魚商の王様です。取扱い額が他の鮮魚とは別格だからです。社員皆さん、現金貰いの給料袋がマジに立つのですから。僕も2週間で14万は頂きました。朝4時から夕方3時には全て片付きました。それも全て3食まで(特に夕食は高級寿司屋に連れて行って貰ったり)付いてです。
確かに仕事は荒くれ男達の中で揉まれる訳ですからハードでしたが、皆さんサッパリしてるし真面目にやってると可愛いがってくれますから、僕向きの楽しいバイトでした。
そうした経緯で、カレッジボーイ1年生は上尾の場内で一夏31日間、これまた一軒家の2食付きで働く事となりました。今回は別の友人も僕が誘いました。正月や御盆はマグロの需要が上がりますから、人手が必要だったのです。それもあんまりナイーブじゃないヤツが。
上尾の生活も築地と同じように厳しいながらもノビノビしたもので、朝は早いものの長い夕方を楽しめました。仕事が終わると、熱い頭に冷たい水をぶっかけて、白いタオルをキュッと被って、キツイ仕事で締まった上半身を裸にして、無頼漢気取りで近くの一軒家まで帰りました。
週末最後の夜(夕方)になると、上尾の社長(Mのオジさん)は会社行き着けのスナックに皆を連れて、飲ませてくれました。もとより僕はイケル口では無いので一口ずつ飲む程度ですが。いきなり最初の夜でした。ビルの1階のそのきれいなスナックには、ママさんの他に若くキレイなお姉さん達が数人います。その内の一番背が高くてキレイなコがいつしか僕の隣でずうっと座ってくれます。社長が「彼はこの夏、バイトに来てるエツジ君だ。ヨロシクな。」と言ってくれたのを機に、そのお姉さんは美人な顔を微笑ませて「どこから来たの?」とか聞きながら色々話し始めました。長くきれいな脚をホットパンツで露にしてるし、夏だからとてもタイトなシャツを着けて、相当艷っぽいので「お姉さん」だと思ってたらナント同い年の18だったのです。どう思い出してもキャンパスガールには絶対見つけられない「大人美人」な雰囲気に驚きました。仲良くしてくれるのは嬉しいのですが、僕は一番シタッパなので彼女に先輩方のところに行って貰いたい
のですが、彼女は僕の手を握ったり脚に置いたりして動こうとしないので、じきに嬉しいより焦り始めました。彼女はそのスナックのママさんのお嬢さんで、次に出店する予定のスナックの若いママさんだったのです。だからだったかも知れませんが、先輩方が「オレっち達んとこにも来いよー。」と言われても、「オジさんは助平だからヤよー!(笑)」と構わない素振りでした。僕はイケメンでも美少年でも無かったですから、単にウブなカレッジボーイが可愛かったのかも知れません。そうこうしてるウチに僕らも切り上げる時が来ると、彼女は「リョウ君、チョッと待ってて!」と言ってお店の奥に一度入ってしまいました。数分後出てきた彼女は小さなきれいな紙袋を控え目に僕に渡しました。「エッ、これは何?」と聞くと「ダメ、絶対お家で開けて…」と言いますが、社長も先輩も「なんだなんだー!?見せろ!見せろ!」と騒いでます。僕も皆さんにお世話になってる立場ですから「開けていい…?」と彼女に聞くと照れながら「…いいよ
…」との事なので、小袋を開けると…とても恥ずかしいのですが、(ズバリ書きますが…)まだ新しいピンクの下着(下の)でした。(な、なんでコンナのを…!)と動揺した僕は言うまでもありません。ですが、その下着の後ろ側には「電話番号」が書いてありました。聞けば彼女の自宅(携帯など普及してない頃ですから。)の番号だそうで、ママさんや社長を見るとただ笑ってます。先輩方は「イイナ!この野郎!月曜からバシバシ働かせてやる(笑)!」とビビらせてくれます。
帰り際、彼女に「絶対、電話してね…」と高いヒールで僕より高い視線で頼まれました。
この夏、全国の映画館で、桑田サンの初監督作「稲村ジェーン」が上映されてました。
「マイナス100度の太陽みたいに 身体を湿らす恋をして めまいがしそうな真夏の果実は 今でも心に咲いている
遠く離れても 黄昏時は 熱い面影が胸に迫る…
こんな夜は涙見せずに また逢えると言って欲しい 忘れられないHeart&Soul
涙の果実よ…」
数日おいて、約束通り電話をかけました。電話での彼女はお店での明るい、世慣れしたような彼女と違い、普通の18歳のコのようでした。普通の恋がしたかったのは分かりました。「一緒にプールに行きたい…」と言う事で、(念のため…)と持参していた水着を持って、上尾の市民プールに一度だけ行きました。話したりしたら、それなりに普通の18歳なのですがスタイルは抜群なので、桑田サンの言葉を借りれば「Aクラスの姐チャン達の放射線」みたいな感じで、市民プールの普通のお父さん方の視線が僕まで恥ずかしかったです。
結論から言えば、なーにも彼女とはありませんでした、オフクロの目に懸けて。その後もたまに電話をした位です。僕が上尾の近くに住んでれば、何か有ったのか知れませんが、目黒と上尾は結構離れてますし、僕はこのバイトが終わったら釣りの師匠と行く予定の「富士5湖巡り、トラウトフィッシングの旅。」や、冬の為のスキーギアを買うのが楽しみだった、ウブな18歳だったからです。
上尾の社長には美人の3姉妹のお嬢さんがいました。社長がとても美男なのです。週に数度、社長宅に夕食にお呼ばれして一緒に頂くのですが、社長から「君が卒業したら、他の市場にお店を持たすから、ウチに必ず来なさい。必ずだぞ。下手に会社員になるより給料だっていいぞ。それでウチの娘と結婚してくれ。」と言われるのです。まだ僕は18…卒業まで4年あるし…やりたい事だって色々出てくるだろうからなぁ…。長女のお嬢さんは、なんだか少し恥ずかしそうにうつむきながらご飯を食べています。僕は僕で、マジに何も無いのですが、先のスナックの彼女が頭を過り、なんとも言えないバツの悪さを少々感じていました。
そうやって帰宅した夜、既に友人がくれた「稲村ジェーン」のサントラCDをダビングしたテープを、持参していたウォークマンで横になり聴きながら、テープが「真夏の果実」になると、どうしてもスナックの彼女やお嬢さんの横顔や社長の顔が頭に浮かびました。そうして眠り、明日の早朝はまた長いゴム長とエプロンを着けてマグロの仕事に向かう、18歳の夏でした…。
サザンの歌は、信じられないほど沢山の方の、それぞれの思い出に密接に重なっています。S井さん、今夜はありがとうございました。今、着々と今年のMyBestサザンを作っています。23日にカマします。一緒に「遠くを見る目」をしま専科。バイクスカフェは、サラNEOの「喫茶 80's」と名前を変えようと思います。「スリラー」もかけるか…。Myばか話にお付き合い下さった皆様、本当にありがとうございました!おやすみなさい!




(2008-5-18)

まずは!

本日、夕方よりバイクスにお越し頂きましたお客様で席をご用意出来ずに、申し訳無いながらも諦めて頂いたお客様皆様にお詫び申し上げます(汗)!すみませんでした! もし次回に機会ございましたら、ぜひお気軽に「こないだ帰ったんですけど…」とおっしゃって下さい。オフクロの目にかけて、全力で作らせてもらいます。
またご愛顧の程、宜しくお願い致します!