14時40分、Sundayへろへろランチの最後のオーダーは「6時間煮込みの牛頬肉と季節野菜のデミグラスソース・シテュー」。
北東の夜空に明るく輝く今夜の月は、満月から5日目の月齢18日目の明るい月だと云うのに、対する南西の夜空は澄んで星が輝き、夜ラン10分もして目が慣れたら天の川も見え始めました。
僕は(どんだけ空がきれいなんだ…)と見上げていましたが、よく考えたら西蒲新潟のこちら海沿いには空気を汚す大きな、又は昼夜明るい工業施設や市街地も無いのだから(当たり前か…)とも思い、明るい月夜と、本来なら反する輝く星空の両方を楽しみました。
月の自転と公転周期は約27日7時間、それで地球から月のダークサイドは絶対に見れない訳です。ところが公転の軌道がやや楕円により地球との距離が少し変化するので(月の秤動)、1年を通すと地球からは月の地表面積60%を観察出来るそうです(放送大学宇宙講座にて)。僕はお約束通り「月の半分50パーしか見れないのだ、うん」と知ったかぶって生きて来たので、やはり己が「物を知らないな」と感じ入りました。
さてさて、最近思うのですが、人が住まいを定めようとする時、大体「通勤や仕事に便利か」、「学校病院ショッピングに便利な市街地は」「自分の推測生涯給与と預金や家族の援助を合わせて買える地価の場所は」とか、東京なら「やっぱ吉祥寺」「国分市!」「下北?」「港区」「渋谷でしょ!」「世田谷しかあり得ないわ」など、憧れの街に選択基準がフォーカスするのもあるのでしょうけど、バイクスをしてからの僕は「毎夜星空がきれいな場所」とか「車やバイクが好きだし何台か置ける広さの土地」とか「マウンテン・トレッキングしやすい場所」「とにかく人が少なくて安い土地」とか 、そんな基準で住まいを決めてしまっても「意外に問題は無い」んじゃないかな…と考えています。
それがその人の人生にとって本質的に正しい選択ならば、意外に「仕事」や「収入」や「人間関係」は向こうがこちらを見つけてやって来るように思うからです(勿論考えられる限りの起こる事の可能性は考えた上で)。
…僕の場合は生まれ育った東京や大阪に数日滞在して新潟に帰って来る道中、新潟の豊かな緑が視界に入って来る度、(多少ビンボーしてもオレは田舎に住みたいな)と痛感するようなタイプですから、「しっかり考えて、これから定住地を決めよう」と云う方にはイマイチ参考になりませんネ…。
ともかく夜空の碧く美しい夜でした。
この週末も本当にありがとうございました!