クマイチゴは、売り切れ間近。
クマイチゴはバラ科の植物だから、比較的細い枝の集合体のように見える。
ここは高さ3m位に枝が伸びているのだが、先週来た時はクマイチゴの赤い実が鈴生りだった。
それが1週間の間に殆んど全て、文字通り「熊に摘まみ食い」されており、数粒しか残っていない。
僕も完熟したのを1粒、摘まみ食いしてみた。とても優しい甘味で旨い。これは熊にとっては大変な食料だ。 枝ごと「バキバキ」に折られて食われるドングリ等と違い、1粒ずつ丁寧に食べる理由と食べ方が分かった。
この近くの薮を探索していたら、日陰の薮の内から静かだが低い「フゥーッ」と云う音が確かにした。 そちらを見据えながら僕は静かに鉈を構えたまま、ゆっくり下がり距離を稼ぐ。 これが絶対に熊なのかは分からない。だが全感覚が警戒している。調査を始めた時点から、この山中には「熊がいる」と覚悟しているし経験を重ね成長して来たし第一、熊を探しているので、不思議と恐怖は小さい。ただ、緊張と云うか全身警戒レベルにある。「熊は鼻で物を見る」と云われる程嗅覚が凄い。人間の老若男女、強弱も嗅覚で判別すると云う。自分より弱い、と判別されればいきなり襲撃される可能性もあるが、手強い、と判別されれば向こうから逃げるか先ずは接近警告が出される可能性がある。僕は何を手にしていようが「手強い」と判別されなければならない。近代でも90歳を越えても少人数で熊を撃ち倒せるマタギもいる。そういう人は、熊に「年をとった人間だ、弱い」と判断されない事だろう。
山中は実に多種多様な音、声がする。
鳥の声、猿の声、葉や枯れ枝が落ちる音、笹が風で揺れる音、上空の飛行機の音、沢のせせらぎの音、風の音…など無数に。
だが音の指向性は数種類しか無いと思う。
1つは無作為に周囲に等しく響く音や声。2つめは、僕があるエリアに入った時点から周囲へ鳴き始める鳥や猿の警戒音。
もう1つは、今回のようにある何かの個体が、知らずと近づいて来る僕にだけ向けた警告音だ。
こういうのを察知するかしないかは個人の野生センスだと思うので、僕は自分の感覚を信じた。熊は日中は休むものが多い。
今日は暑いし、日の当たらない薮の中で夜に向け休んでいたのだと思う。
(警告を出させてすまなかったな)と胸で思いながら、何かから静かに日陰の薮を遠ざかった。